羽幌炭鉱築別坑 

 


 

 1940(昭和15)年に羽幌炭鉱(築別坑)が操業を始め、翌1941年12月14日に羽幌炭鉱鉄道が開通。

 そこから羽幌炭鉱は徐々に大きくなり、1965(昭和40)年の築別地区には1406世帯(6182人)が暮らしていた。

 

 しかし閉山した1970(昭和45)年になると人口が激減、4月に4338人だった人口は9月には607人になる。

 そして1972年にはわずか2人。近くの羽幌本坑、上羽幌坑と比べても人口の減り方が激しい。

 

 鉱山や炭鉱というのはそのものが生活の基盤なので、閉山すれば無人になるのも仕方のないことではあるが。

 

 

 

 

雨降ってる・・・テンション↓↓

 まあここまで来たので、中に入る

 

  

とても簡素な室内

 

 

  

ふつう鉱山住宅等は子供の落書きやシール、

 絵本などがよく見受けられるものだが

 

 

ここにはそうしたものが、と言うか生活を感じさせる

ものがほとんどない

 

 

それも当然のことで、実はこのアパートが完成したのは昭和44年8、9月

閉山のほんの一年ちょっと前なのだ

 

 

アパートは4棟あるが、廃墟になるために造られたようなものだ

 

 

 

どういうテーブルと椅子だよ。キャンプ場かYO

 

 

 

外を見ても緑が見えるだけ

人が住んでいたのはもう昔の話

 

 

 

勢い良く踏み抜いて腰まで埋まった・・・

∧__∧ .

( ゚д゚ )  

       ___l つ つ__   ←図解

`’ ~`´


 

  

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