1932(昭和7)年に中外鉱業清越鉱山となり
1987(昭和62)年5月に休山。
閉山はしていないが状態は閉山も同然。
私がカーナビで「清越鉱山」の文字を見つけ、初めてここを訪れたのは2004年の10月だった。
そのときはカメラも持ってなかったし、まだ廃墟慣れしていないということで深入りはしなかった。
ニ年後にも再訪したが、生憎とろくな写真がなく・・・仕方なく三度目の訪問。
木造の選鉱場跡が見えてくる。
生い茂る緑をかき分けて中へ。
現役のときと比べると、鉱山らしさを感じる部分もかなり減ったのではなかろうか。
前は壁を背にしていた椅子だが、向きが変わっていた。
木造の廃墟は本当に怖い。
廃校ならまだいい。しかし鉱山は・・・
迫力あるね。
これがベルトコンベアを回していたんだろうか。
もう二度と回らないだろうが。
屋内だがしっかりと壁と窓で仕切られた空間。
何か理由があるのかも知れない。