1943(昭和18)年12月15日開校

1987(昭和62)年3月31日閉校

 


 

 かつては鉱山を擁する町として賑わったが、1986(昭和61)年5月に鉱山が閉山すると人々は去っていった。

 児童生徒の親のうち、95パーセントが鉱山関係の仕事に就いていたというから、当然と言えば当然である。

 

 一時は494名の児童生徒数を誇った同校も、閉校間際のそれはわずか8名だったという。

 

 

 

 

 

「町」があったと感じさせるものはほとんどない。

廃校だけポツンとあるという印象。

 

 

 

 

夏で草が生い茂っているが、かなり損傷が激しそう。

 

 

 

 

二色の特徴的な下駄箱。

 

 

 

 

積み上がったパイプ椅子を越え、先に進む。

 

 

 

 

町民憲章によるとここは「北海道夜明けの地」らしい。

 

 

 

 

近くの教室に入る。これは床なのか地面なのか・・・

 

 

 

 

 

イベントの飾りらしきものがいっぱい。

 

 

 

 

 

七夕か?

 

 

 

 

隣は理科室。

 

 

 

 

 

今となっては、どれもただのガラクタだ。

 

 

 

 

二度と使われることはない。

 

 


 

  

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