明延鉱山
兵庫県北部の鉱山。
奈良東大寺の大仏(752年開眼)鋳造時にここから銅が献上されたと記録に残る歴史ある鉱山である。
複数の鉱物を産出していたが、特に錫(スス゛)の産出が盛んで、一時期は国内随一の産出量を誇っていた。
明延鉱山は採掘場所と同じ場所に選鉱場がなく、約5km離れた神子畑選鉱場へ鉱石を運んで選鉱していた珍しい鉱山でもある。
閉山は1987(昭和62)年3月。鉱床は枯渇しておらず、未だ残っているらしい。
神子畑選鉱場は既に解体されており、今回は明延鉱山本体の方を訪れた。
この辺りにはそれなりに人も住んでいるわけだが、
携帯電話はすでにまったくの圏外である。
上の碑にある詩を紹介しておこう。
「鉱山(やま)の里」
千数百年にわたり 世のため人のため この里に多くの民が集い
ともに汗し歓び合い 賑わい栄えた明延鉱山
不仁の荒波に抗えず 多くの資源を残しながら 一九八七年遂に閉山となる
長い歴史と栄光を偲びつゝ この明延の里に幸あれと
願いを込めて碑を遺す
平成十四年(二○○二年)春
明延と神子畑を結んでいた一円電車。
もともとは鉱石を神子畑選鉱所に運ぶため敷設されたものだ。
運賃が一円であったことからこう呼ばれ、親しまれた。
では鉱山施設の方に行ってみる。
短いトンネルを抜けると、そこは廃墟であった。
選鉱場を欠きながらこの規模。
現役時にはもっと多くの建物があった。
明延鉱山の巨大さがよく分かる。
軌道が奥へと続いていたようだ。
軌道跡を辿っていくと、坑道の入り口があった。
しかし固く閉ざされ、中をうかがうことはできない。
三菱の鉱山だったのであのマークがある。
神岡のように雪の重みで壊れることはほとんどないだろう。
それでも閉山して20年近く経つとあちこちにガタが来る。
ちなみに上の場所の現役時と思われる写真が
あけのべ自然学校のホームページにあった。(右側のモノクロ写真)
どうやらこの辺りが一円電車の明延駅だったらしい。
駅舎とおぼしき建物。すでに建物ではない・・・
20年で様子がガラッと変わってしまった(´・ω・`)
写真では左側の建物に車両が写っている。
車庫だったのかも知れない。
中はこんな感じ。
軌道は残ってないか・・・
いや、わずかながら残っていた。
落とし穴つきで。
縦横無尽に走っていたであろう軌道も、下の方では取り外されている。
枕木だけ残る。
駅のホームみたいだ。
こっちにも坑道の入り口っぽいものが。
やたらと坑道口が多い鉱山。
鉱山施設は上か。
登るとしよう。