とても古い診療所跡があるということなので行ってみることにした
残留物を見るに、O先生という方の自宅兼診療所だったのだろうか
1941(昭和16)年の新聞、はがきがあった
しっかり建ってるな、という第一印象を受けた
裏に回るとガタが来ているのが分かるが
ここが診察室と思われる
どういうものなのか興味深いところ
「入日記」というものがあることを初めて知った
荷送りする商品に添え入れる内容明細書らしい
何科、という区別なく一通り診ていたのだろう
現在の医師も一通り学ぶことは学ぶが
身体のすべての部位で正確な診断を下すことは至難の業
名字と住所が同じだが夫婦か?
女性が昭和16年12月14日、男性がちょうど一週間後に亡くなっている
(「気管支」?としか書いてないが気管支炎か何かか)
男性の方は生まれたのが1858(安政5)年。幕末すなあ
私が小さい頃は、祖父によく「わかもと」と「肝油」と食べさせられた
そのときの「わかもと」は瓶に入った錠剤だったが
昭和16年11月17日の新聞。巨人優勝
廃村向之倉の新聞(昭和31年)に登場していた川上哲治氏、ここでも登場
右側にあるのはたぶん分娩台
当時は出生率高かっただろうね