端島炭鉱(軍艦島)
聖地と呼ばれる場所がある。
それはキリスト教徒にとってはエルサレムであり、某ネズミが好きな私の妹にとってはネズミーランドであり、「涼宮ハルヒの憂鬱」が好きなM氏にとっては兵庫県某所かも知れない。
廃墟に興味を持ったとき、同時に軍艦島の存在を知った。
なぜ聖地なのか。行かずしてその理由を知り得るはずもない。
長崎のグラバー園で見た写真には、まるで軍艦のように何本もの煙突から煙を吐き、炭鉱として活躍する端島の姿が写っていた。
それから何年経っただろうか。ここは炭鉱ではなくなった。
そして、誰もいなくなった。
朝焼けの中、陸が遠ざかっていく。
・19世紀初頭、石炭が発見される。
・1890(明治23)年、三菱が経営を担い本格的な操業を開始。
・1960(昭和35)年頃、人口が5200人を超える。
・1974(昭和49)年1月15日、端島炭鉱閉山。
・1974(昭和49)年4月20日、定期船廃止、無人島となる。
ただの黒い影だった島が、徐々にその全容を現す。
M氏「寒い」
上陸の前に島の周りを一周。
黒ずんだ高層建築物が密集する姿は、かつて香港にあった九龍城を連想させる。
最初に出迎えてくれる端島小中学校。
国内に数多くある廃校の中でも、その規模たるや圧倒的である。
天井が高くていい。
やあ、君は居残りなのかい?
校舎裏の体育館。
自然の力とは恐ろしいものだ。
最近描かれたものでもなさそうだ。
病院に行ってみよう。
これまた珍しい、窓のあるオペ室。
日光が入っては無影灯の意味がないのではないか?カーテンか何かで遮るなら別だが。
オペ室は通常、雑菌を含んだ外気を中に入れないために、
中の気圧がやや高く保たれている。
もちろん温度や湿度についても細かい調節がなされる。
この時代はまだ、そんな設備はなかったのだろう。
何を見続けてきたのだろうか。
それは誰にも分からない。
一般病棟と隔離病棟は繋がっている。
木製のベッドと金属製のベッドがあった。