1906(明治39)年開校、1990(平成2)年閉校。
ヤマ閉じて山河在り、そして廃墟在り。
炭鉱の隆盛によりこの一帯に多くの人々が暮らしたことは夢幻ではない、彼らはその証人である。
閑古鳥が鳴くから廃墟になるのか。廃墟だから閑古鳥が鳴くのか。
周りに何もないぶん、学校が目立つ。
下駄箱小さいな。
同じ木造校舎でも、北海道だとまた一味違う気がする。
持って帰ってもらえなかったんだね。
この校舎は高校、中学校、小学校と三代に渡って使われた。
「北中」とあるこの台は中学校時代の名残。
あちこちに音楽関係のものがある学校だ。
最後の一ヶ月のメニュー。
「あんかけをかけて下さい」って何か変じゃないか・・・?
職員室。中央にストーブが鎮座していたのだろう。
卒業式、閉校式、惜別会・・・
私が五歳のときの話だ。
鳴らす者もなく
投げる者もなし