正式名称は「川南工業浦之崎造船所」

戦時中から戦後にかけて造船所として稼動したという


 

 

 

夏はさぞ緑豊かな廃墟になることだろう

 

 

 

 

春先でこんな状態だし

 

 

 

ここが廃墟になったのは1955(昭和30)年だという

 

 

 

半世紀以上が経ちながらも巨大な廃墟の迫力には圧倒される

 

 

 

この広い空間に、どのように船があったのだろうか

 

 

 

想像してみても、いまいちよく分からない

 

 

 

 

戦時中は空襲も受けたというが今は静かなものだ

 

 

 

外を通る車の音が聞こえるくらい

 

 

 

なんとなく戦後に書かれた標語のような気がする

 

 

 

 

取り壊しの話もあるこの廃墟。動向が気になるところ

 

 

 <後日談>

帰ってからネットを見ていたら

ここで白骨化した遺体が見つかったというニュースが

 

しかも発見者が通報した日付が、まさに私がここを訪れた日

 

私が入った朝8時頃はまだ御遺体はここにあったと思う

 

鉢合わせしなくて良かった(遺体とも警察とも)

 


 

  

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