木々に囲まれているため、けっこう薄暗い。

 

 

 

 

 

        

 

                  机の上の紙が気になってひっくり返したら、絵だった。

 

 

 

 

 

        

 

                           祭りの絵?だろうか。

 

 

             名前はほとんど消えてしまっているが、絵自体はしっかり残っている。

 

 

        

 

                        授業中のところお邪魔しました。

 

 

 

 

 

        

 

 

 

 

 

 

 

       

 

                      残された教材もすべて当時のもの。

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

 

       

 

                 鳴るのかな、とも思ったが、あえて触るのをやめた。

 

 

 

 

 

             

 

                   右の黒板に「昭和53年 教育委員会」とあった。

 

 

                      閉校後に何かで使われたのだろうか。

 

 

             

  

                     「ひっそりと建つ」という表現が相応しい。

 

 

 

  

 

             

 

                      倉庫の中から跳び箱が覗いていた。

 

 

 

 

 

       

 

                かつて子供が歩いた道。今歩くのは廃墟好きくらいか・・・

 

 

                        ではそろそろ、アディオス! 

 

 

       

 

                             旧教員宿舎。

 

 

 

 なお、近くで作業していた男性が卒業生291名の一人だった。

 「家が近くて、鐘が鳴ってから走っていっても間に合った」 

 「(向かいの山の中腹を指差し)あそこに鉄塔があるだろう、あの辺から山を越えて片道2時間かけて町の中学校に通った。

  そんなに辛いとは感じなかったな」

 

 ちなみに私は小学校→徒歩25分、中学校→徒歩20分、高校→徒歩5分(坂なし)である。

 昔の人には本当に頭が下がる。

 

 

 

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