「地図から消された島」として知られるこの島も、今では保養地になっている。
しかし長閑な雰囲気とは明らかに一線を画す戦争の傷痕は、今なおこの島の過去を忘れさせてはくれない。
この場所については、まずは歴史を語らねばなるまい。
19世紀以前と20世紀とで、戦争は大きく様変わりした。
いわゆる「大量破壊兵器」の登場である。
「化学の戦争」と呼ばれた第一次大戦では毒ガスを、
「物理の戦争」と呼ばれた第二次大戦では原爆を、
人類はそれぞれ生み出した。
第一次大戦では塩素ガス、ホスゲン、マスタードガス(イペリット)等が使用され、
兵士だけでも延べ18万人が命を落としたと言われる。
その後1925年のジュネーブ議定書で毒ガスの使用禁止が強く謳われたが、効果はない。
多くの科学者が残虐な兵器の開発に加担した。
第一次大戦当時ドイツの化学者で、毒ガスの開発に関わったオットー・ハーンは
戦場での悲惨さを目にして言葉を失ったという。
「私は深く自らを恥じ、動揺した。
私自身がこの悲劇を引き起こした張本人だったからだ」
しかしそうした反省が生かされることなく、第二次大戦でナチスは
タブン、サリン、ソマンなどより強力な毒ガスを作る。
もしヒトラーがこれらの神経ガスを使用していたら、
第二次大戦の死者数はさらに大きく増加したに違いない。
それほどに化学兵器は脅威なのだ。
核兵器に比べ製造が簡単でコストも低いためテロにも使われやすい。
現にサリンは我が国でテロに使われている。
戦時中、この島では4種類の毒ガスが作られ、主に中国で使用された。
既述のイペリット、ルイサイト、クシャミガス、催涙ガスである。
当然ながら、毒ガスを作る過程でも犠牲者が出たことだろう。
そこまでして兵器を作る必要性がどこにあろうか。
もしそう考えることができたら、二つの大戦はあそこまで悲惨なものにはならなかった。
まさに科学は罪を知ったのだ。