ここは発電所として稼動していた。
最終的には8台の発電機が設置されたようだ。
ツアーの団体も来ていた。
生い茂る緑を見ると、ここで毒ガスが作られたということを忘れそうになる。
この島自体、こういったものを見なければただの保養地に見えてしまう。
北部砲台跡。これだけ見てると砲台という感じはしない。
あまり大きいとは言えないこの島に3ヶ所も砲台があったことからも、
当時どれだけ重要な軍事施設だったかが分かる。
団体客のために冷たい麦茶が用意されていた。
私も勧められて一杯頂いた。
ありがたやありがたや。
長浦貯蔵庫跡。壁が黒いのはガスを焼却処理したため。
作った毒ガスはここに保管されていたのだ。
折り重なった鶴に息を呑んだ。
負の遺産と言うが、それは未来を正にするための遺産でもある。
最後に、中部砲台跡。
激しくブレた・・・
実はここへ行くのに炎天下で急な山道を登らねばならず、死んだ。
かつて私の父は、20世紀を振り返る書物を読む私にこう言った。
「もうすぐ21世紀なのに、20世紀の本なんか読んでるのか」
この言葉に私は不満を覚えた。
確かに先を見ることは重要だが、過去の過ちを忘れていてはより良い未来にはならない。
ヴァイツゼッカー元ドイツ連邦大統領の言葉を借りるなら、「過去に目を閉ざす者は未来に対しても盲目になる」のだ。
重要なのは、同じ過ちを二度と起こさないことなのである。
参考文献:『20世紀、どんな時代だったのか-戦争編-ヨーロッパの戦争』(1998年読売新聞社編)