1929(昭和4)年運行開始

2004年10月16日休止、翌2005年8月31日廃止


 

 平安時代末期、平氏は源氏の猛攻によって徐々に西へ追いやられ、1185(元暦2)年壇ノ浦で滅亡した。

 平氏滅亡の一ヶ月前に一戦を交えたのがこの場所。那須与一が扇の的を射た話(平家物語)で知られる。

 

 そんな歴史あるこの地は修学旅行生含む大勢の人で賑わったこともあるようだが、そこはやはり盛者必衰。

 1960年には195万人が利用し、利用者数全国一になったというケーブルカー路線もご覧の有様。

 

 

 

駅跡の周りはひっそりとして人気がない

走り込みをしている大学生らしき集団がいるくらい

 

 

駅舎の裏に回ると「義経号」が

上の駅にいるもう一台は「辨慶号」という名前がついていた

 

義経と弁慶が離れてちゃいかんでしょ

 

 

休止から5年が経ち塗装も剥がれている

 

 

 

 ケーブルカーの運転台はこうなってるのか

 

 

 

現在はドライブウェイを車で上るか、登山道を上るしか上に行く手段はない

 

 

 

 もちろん再開を望む声もあるが、望み薄と言わざるを得ない

 

 

 

 山上駅まで800m

上ってみようか、とも思ったが・・・

 

 

いい感じの変電室

 

 

 

営業してたら撮れなさそうな写真

 

 

 

ここから上まで軌道沿いに階段が続いているという話

 ちょっと上ってみる

 

 

諦めた

 

今日既に廃墟回ったし、このあともまだ回る予定があるし

あまり消耗したくない・・・

 


 

  

BACK      HOME     NEXT