神島監的哨
天気がいいということもあり、唐突に島へ行ってみたくなった。最近山の方へ行くことが多い。たまには気分を変えて、海へ行ってみるのもいいかもしれない。
伊良湖から観光船に乗り、海路、神島を目指した。
神島は三重県鳥羽市に属する、周囲約4キロの比較的小さな島だ。島の人口は500人ほど。民家や諸施設は港周辺に固まっていたが、学校だけは少し離れた所にあった。かなり高低差のある島なので、高い場所に登るとグレートな景色が堪能できる。
古くは歌島とも言い、小説(及びそれを題材にした映画)の舞台にもなったそうだ。
歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である。(三島由紀夫『潮騒』冒頭)
漁業を生業にしている人が多い。
古い井戸が残る。
島の人々にとって、水の確保は特に重要であった。
島内の八代神社。
辿り着くには214段の石段を登らねばならない。これはキツイ。
歌島に眺めのもつとも美しい場所が二つある。一つは島の頂きちかく、北西にむかつて建てられた八代神社である。
ここからは、島がその湾口に位ゐしてゐる伊勢海の周辺が隈なく見える。北には知多半島が迫り、東から北へ渥美半島が延びてゐる。西には宇治山田から津の四日市にいたる海岸線が隠見してゐる。
二百段の石段を昇つて、一双の石の唐獅子に戍られた鳥居のところで見返ると、かういふ遠景にかこまれた古代さながらの伊勢の海が眺められた。もとはここに、枝が交錯して、鳥居の形をなした「鳥居の松」があつて、それが眺望におもしろい額縁を与へてゐたが、数年前、枯死してしまつた。
まだ松のみどりは浅いが、岸にちかい海面は、春の海藻の丹のいろに染つてゐる。西北の季節風が、津の口からたえず吹きつけてゐるので、ここの眺めをたのしむには寒い。
八代神社は綿津見命を祀つてゐた。この海神の信仰は、漁夫たちの生活から自然に生れ、かれらはいつも海上の平穏を祈り、もし海難に遭つて救はれれば、何よりも先に、ここの社に奉納金を捧げるのであつた。(三島由紀夫『潮騒』)
最上段から見たところ。
境内を掃除していた男性によると、昔は木が少なく、海がよく見えたという。
しばらく登ると神島灯台があった。
眺めのもつとも美しいもう一つの場所は、島の東山の頂に近い燈台である。燈台の立つてゐる断崖の下には、伊良湖水道の海流の響きが絶えなかつた。伊勢海と太平洋をつなぐこの狭窄な海門は、風のある日には、いくつもの渦を巻いた。水道を隔てて、渥美半島の端が迫つてをり、その石の多い荒涼とした波打際に、伊良湖崎の小さな無人の燈台が立つてゐた。
歌島燈台からは東南に太平洋の一部が望まれ、東北の渥美湾をへだてた山々のかなたには、西風の強い払暁など、富士を見ることがあつた。
名古屋や四日市を出港し、あるひはそこへ入港する汽船が、湾内から外洋にちらばつた無数の漁船を縫つて伊良湖水道をとほるときに、燈台員は望遠鏡をのぞいてゐて、いちはやくその船名を読んだ。(三島由紀夫『潮騒』)
1910(明治43)年5月1日点灯。
国内最初の白熱電球の灯台だった。
後方は伊良湖岬。
タンカー、貨物船などの大型船もよく通る。
そして監的哨(観的哨)跡に着いた。
言うまでもなく戦争遺跡である。
やがて松林の砂地のかなたに、三階建の鉄筋コンクリートの観的哨が見えだした。この白い廃墟は、周囲の人気のない自然の静寂の中で妖しく見えた。伊良湖岬のむかう側の小中山試射場から、射ち出される試射砲の着弾点を、二階のバルコニイで双眼鏡を目にあててゐる兵が確認する。室内の参謀が、どこへ落ちたか、と質問する。兵が答える。戦争中まではさういふ生活がここでくりかへされ、宿営する兵士たちは、しらぬ間に減つてゐる糧秣を、いつも狸の化物のせゐにするのであつた。(三島由紀夫『潮騒』)
白かったコンクリートもこの通り。
昭和4年建造。
終戦とともにその役目を終えた。
私は戦争を知らない。
でも君は知っている。